男が成長するためにコンフォートゾーンを抜けだす方法5選!

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Comfortzone(コンフォートゾーン)にいる間は飛躍的な成長は望めない

英語でしばしばComfort(快適な)という表現がリスクの反対側にあるものとして表現されます。comfort zone(自信の慣れ親しんだ快適な場所)外に出てリスクを冒す能力は、私たちが成長する主要な方法です。しかし、私たちはしばしばその最初の一歩を踏み出すことを恐れます。 実のところ、コンフォートゾーンは実際には快適さではなく、恐怖です。外に出るために恐怖の連鎖を断ち切ることができる勇気は男の風格に直結します。大きい男はリスクを冒してその過程で成長するプロセスを楽しむことを学びます。 快適ゾーンから出て成功に近づくのを助ける方法5選をお送りします。

“You never change your life until you step out of your comfort zone; change begins at the end of your comfort zone.”
Roy T. Bennett

”コンフォートゾーンの外に行くしか新しい成長とは出会えない“

コンフォートゾーンを抜け出す方法5選

1・Comfort(快適)の外側にあるものに気づく

あなたがする価値があるとあなたが信じていることは何ですか、しかし失望や失敗の可能性のためにあなた自身になることを恐れていますか?

サーフィンをする方はわかりやすいと思いますが、いい波が起こるのはいつも沖の方です。どんなサーファーもその波を目指し岸から沖の方を目指して進んでいきます、その過程には必ず襲いかかる海の波を超えていかなくてはならず海水に身を浸すことになります。

何度も波に押し戻されても、進み続け沖を目指すうちに穏やかな沖に到着します。そこはいい波を掴める場所です。

そこにいる人はみんな同じ経験をしてきた人たちです。

例えばもしも今いる会社を辞めたい時、他にやりたいことがある時、今いる環境を辞めることに生じるさまざまな超えていかなくてはいけない障害を考えるだけで今いる環境を抜け出すことはできなくなってしまいます。だけれどもサーファーが沖を目指すようにあなたがもしも目指すものがあるのであれば今いる快適な場所から飛び出し水に身を浸す覚悟をしなくてはならないことを覚えておきましょう。

その覚悟さえあれば大丈夫。あなたは必ずいい波を掴める場所に辿り着き、そこで出会う人たちと勝利の美酒を味わいましょう。



2・克服することを明確にする

克服しようとしていることを明確にすることは不快感のリストを取り除くきっかけになります。克服しようとしている主な感情は恐怖であることを忘れないでください。 この恐れはどのようにそれぞれの状況に独自に当てはまりますか?非常に具体的にしてください。 自ら人々に近づき、社会的状況で自己紹介することを恐れていますか?どうして?声の響きに不安があるからですか?あなたは自分の外見に不安がありますか?または、無視されることを恐れていますか?

これらを一つ一つ文字に起こしていくことは心を整理する良いメソッドです。悩み事を全部ひらがなで書いてみましょう。

生きているだけで丸儲け-明石家さんま

3・小さくても一歩一歩進んでいく

赤ちゃんの一歩でも良いので一歩一歩進んでいきましょういきなり快適ゾーンの外側に飛び出そうとしないでください、圧倒されてすぐに戻ってしまう可能性があります。 克服しようとしている恐れに向かって小さな一歩を踏み出してください。人前で話すことをしたい場合は、あらゆる機会を利用して少人数のグループと話すことから始めます。家族や友達と一緒に練習することもできます。

4・真剣になりすぎない

真剣に考えすぎないでください。間違いを犯したときには自分自身を笑うことを学びましょう。リスクを冒すことは必然的に失敗と挫折を伴い、時には他人に愚かに見えるようになります。他の人が楽しんでいるときは、自分のことのように楽しみましょう。スケールの大きい男はリスクを冒してその過程で自分の失敗を自分で笑い飛ばすことができる男です

そして恥ずかしさを恐れず、恥ずかしいと思うことは決して恥ずかしいことなどではないということを肝に銘じておく必要があります。

5・失敗を教師とみる (KFC) カーネルサンダースから学ぶ

失敗を教師として扱い始める。その経験から何を学びましたか? 成功の可能性を高めるために、次の冒険にどのように取り入れることができそうですか? 多くの非常に成功した人々は、成功する前に何度も失敗しました。例えばケンタッキーフライドチキンで有名な(KFC)のカーネル・サンダースの物語からも学ぶことができます

カーネルがKFCの仕事を立ち上げたのは、実は彼が65歳のとき。かなり高齢です。しかもそのときは無一文。月にもらえるのはわずか105ドルの年金のみでした。
カーネルは、かつて経営していたレストランの大人気メニューであったフライドチキンのつくり方と、秘伝のスパイスを他のレストランへ売ることにしました。しかも、買い取りではなくフライドチキンが売れた分だけ1ピースにつき数セントのロイヤリティをもらうという契約です。しかし、老齢のおじいさんの飛び込み営業に応じる店はなかなかありません、

言われた「NO!」の数、なんと1009回。カーネルは「放り出された数は全米一」と自慢していたそうです。移動は自動車で、なけなしの年金でガソリンを買い、出費を抑えるために、寝場所は車の後部座席。とても、65歳のおじいさんの生活とは思えません。
その後、フランチャイズのアイデアを成功へと導き、73歳になる頃にはKFCのチェーン店は600を超え、アメリカ最大のフランチャイズレストランとなります。今や世界80ヶ国、1万店舗以上に広がる一大ファーストフードチェーンのKFCですが、カーネルは自身の成功について「自分に特別な才能があったとは思えない」と語っている通り、かつては職を転々としていました。しかし、その一つひとつで一生懸命働いたことが成功の要因だとインタビューで振りかえっていたそうです。

「できることはやれ」
「やるなら最善を尽くせ」
このたった2つが、カーネルの守ったルールでした。



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